痛みをとることをゴールにするな、あなたの物語を取り戻そう
2026/05/12
自然療法家として、ホリスティックな施術を長年続けている。
毎日「心身の繋がり」について語り、植物の力や気の巡りの素晴らしさを伝え、身体と向き合うことに前向きな姿勢をとっていると、こんなDM(問い合わせ)が来る。
「肩こりがひどいです!一発で治すツボ教えてください!」
「とにかくすぐ痛みを取ってくれませんか?」
症状を取ることはもちろん私のレベルだと大体可能なのだがね、少し思うところもある。
周りの優秀な治療家やセラピストたちも、きっと恐らく困惑しているか、スルーしている人もいるだろう。優しい人だと一人一人に「それは根本的な解決にならないんですよ」とお断りや説明の連絡を入れているかもしれない。厳しい人なら予約をお断りするかな。
色んな人がいると思うが、多分こういう「手っ取り早さ」を求めるオーダーから、「本当に治る身体」に辿り着ける人間はほとんど居ない。
何故か。 本当に、本当にこれはもったいなさすぎるからだ。 この類いのDMの何が1番良くないって、「痛みを取ること(症状の消失)」が関係のゴールになってしまっていることだ。
痛みを取ることとは本来、身体とのコミュニケーションの一部で、ゴールではないのだ。 とにもかくにもコミュニケーションが、自分の身体との対話が大切だ。
自然の叡智を持つ生命として、自分の身体と向き合おう。身体に「治る力」を発揮してもらうには、対話が必要だ。悲しい話だが、こちらはあなたの身体をまだ「ひとつの自然」として認識していない(現在地を把握していない)時点で、いきなり「修理してくれ」と連絡が来ている状態なのである。
「本気で根本から治そうとしてるわけじゃないよ、うっかり一回で楽になれたらラッキーくらいの気持ちだよ!」という人は、そもそもその考えを手放そう。
自分の身体に対してハチャメチャにダサいし、失礼だよね。 私個人としては、不調に対して「なんとかして治したい」と助けを求める、その行為自体は生命としてのSOSであり、とても美しいなと思う。 ただ、それは自分の身体を「機械」ではなく「自然」として認識しているから美しく感じるのだ。
私はしばしば最高の治癒を表現するうえで、「自然と溶け合う」という表現を使う。
頭で考えるロジックやマニュアルではなく、心と身体の境界線が無くなり、ひとつの大きな自然として心地よい巡りを取り戻す。美しすぎる。
本気の自然治癒ってこれだろう、と思う。 ただ、自然と調和するには、元の身体を「機械のパーツ」のように扱っていてはダメだ。 対話をしていない、自分の生活も顧みない状態は、そのまんま「物質」と同じだ。無加工のパーツだ。血を通わせて「生命」になってほしい。
良いホリスティックケアとは、その人の物語性、これまでのライフスタイルや背景を紐解くところに本質があるのであって、「痛みを取る行為そのもの」は実は重要ではない。 対話をして、お互いの体質やこれまでの人生、日々の営み、それを理解して行う調律はとっても美しい。 なんだって文脈(コンテキスト)がある方がいいに決まっているのだ。
なにもなしにただ痛みだけを消したのでは、お話にならない。ただ臭いものに蓋をしただけだ。症状に蓋をするだけなら、ひとりでいいのだ。強い痛み止めを飲め。ケミカルな薬は便利だ。ただ、それだけが本当に良いとは私は思わない。
まずは自分の身体に挨拶をして、会話をしよう。 くだらない話でもいいのだ。最近何を食べたか、どんなことでストレスを感じたか。そういう話をまずはしよう。
それは鍼を打つよりもっと前に行うべき、大切なコミュニケーションだから。 とはいえ、セラピストに一方的に「なんとかして」と丸投げするのはダメだ。あなたが身体を労っているつもりのその行為は、ただの「その場しのぎの湿布」かもしれない。自分の身体に、ただ湿布を投げつけてはいけない。
「痛みを取ること」をゴールにせず、あなた自身の身体の物語を取り戻そう。
私はそういう方と共に、治る身体を創っていきたいです。よろしくお願いします。
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川畑鍼灸マッサージ治療院
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